この記事では、真田広之さんについて
・プロフィール
・いつから海外へ?
・英語はいつから?
・なぜ海外へ?
を調査しまとめました!
真田広之さんすごい!『SHOGUN 将軍』エミー賞18部門受賞の最多受賞記録おめでとうございます!
真田広之、いつなぜ海外に進出したの?理由は?英語はいつから?
日本時間2024年9月16日、真田広之さんがアメリカのテレビ界最高の栄誉とされる、第76回エミー賞で主演男優賞に輝きましたね。
さらに、真田広之さんが主演でプロデューサーを務めた『SHOGUN 将軍』は、エミー賞18部門受賞の最多受賞記録を樹立しました!
エミー賞は、テレビドラマなどテレビ業界の功績に与えられる賞で、映画におけるアカデミー賞、演劇におけるトニー賞、音楽におけるグラミー賞に相当します!
すごいすごいすごい!
真田広之さんと言えば、「たそがれ清兵衛」など日本でも活躍されていた俳優さん。
いったい、いつからなぜ海外へ進出したのでしょうか?
また、真田広之さんの英語のスピーチ、すごかったですね!
真田広之さんは英語はいつから始めたのでしょう?
調査しまとめました!
真田広之のプロフィール
名前:真田 広之(さなだひろゆき)
本名:下澤 廣之(しもざわひろゆき)
生年月日:1960年10月12日
年齢:63歳
出身地:東京都品川区大井
配偶者:なし(元嫁・1990~1997手塚理美)
真田広之さんは、5歳で子役デビューしています。
6歳の頃には、真田広之さんが師と仰ぐ千葉真一さんに出会います。
真田広之さんの芸名も、千葉真一さんが、千葉真一さんの「真」と、本名の前田禎穂の「田」を組み合わせた名前を命名してくれたんだそうです。
1976年、真田広之さんは高校生の時に一度芸能活動から身を引きました。
それも、千葉真一さんのアドバイスで学業に専念するためでした。
復帰後、千葉真一さん率いるジャパンアクションクラブ(JAC、現ジャパンアクションエンタープライズ)に入りました。
真田広之さんは、そこで武術を学び、身体能力の高い俳優として成長していきました。
しかし、1989年には真田広之さんのギャラを巡って千葉真一さんと“絶縁”してしまいJACから独立しました。
どんなに人気が出て頑張っても、月給が100万円ほどで真田広之さんが、ごねたんだとか。
千葉真一さんと真田広之さんはその後、和解はできませんでした。
しかし、千葉真一さん死後。
千葉真一さんの愛娘の真瀬樹里さんが、真田広之さんに『偲ぶ会』の発起人を務めてほしいと声をかけたことからやっと和解できたそうです。
世界進出についても、千葉真一さんからアドバイスを受けており、
「(師は)いつも世界市場の未来に目を向けていたので、その姿勢に大きな影響を受けました。おかげで将来、他の素晴らしい俳優や監督と一緒に仕事をするには、どうしたらいいかを考えるようになりました」
真田広之はいつから海外に進出した?
真田広之さんが、最初に海外の作品に出演したのは、1982年に出演した「龍の忍者」でした。
その後、本格的に海外(ハリウッド)へ進出をしたのは、今から約20年前の2003年からです。
「ラストサムライ」に出演しハリウッドデビューした真田広之さんは、高い評価を受けました。
この時から、拠点もロサンゼルスに移して活動を始めています。
つまり、真田広之の海外進出は1982年に始まり、2003年の『ラストサムライ』を機に本格化したと言えます。
真田広之は、なぜ海外に進出したの?
①『龍の忍者』
この作品は、香港の作品です。
1982年に初めての海外の作品「龍の忍者」に出演しました。
この時から、Sonny Chiba(サニー千葉)に続くアクションスター・デューク真田として海外でも活躍を始めました。
②『リア王』
最初の海外での仕事はロンドンで、蜷川幸雄が演出した1998年の『ハムレット』に出演したことでした。
その『ハムレット』がきっかけで真田広之さんは、『リア王』のオファーを受け驚いたそうです。
そして真田広之さんは、1999年~2000年、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演『リア王』に出演しました。
この作品では、全編が17世紀の英語の台詞で、史上初にして唯一の日本人キャストとして出演しています。
『リア王』は、真田広之さんは日英の文化交流の架け橋としての功績を評価され、2002年に名誉大英勲章第五位(MBE)を授与しています。
真田広之さんは、『リア王』で、これからはこんなふうな国際的な仕事に挑戦していこうと決めたそうです。
「あの経験から、文化をミックスすることや、誰も観たことのない新しい作品を作ることがいかに重要かを学びました」
③『ラストサムライ』
トムクルーズ主演、渡辺謙さんも出演し、真田広之さんのハリウッドデビュー作となった『ラストサムライ』。
『ラストサムライ』では、真田広之さんが英語を話すシーンはありませんでしたが、高い評価を受け拠点を移すきっかけとなりました。
真田広之さんは、
もし『リア王』に出演していなかったら、おそらく『ラスト サムライ』のオーディションは受けられなかっただろう
と振り返っていました。
その後、
2007年『ラッシュアワー3』でジャッキー・チェンと共演。
2013年『47RONIN』大石内蔵助を演じ、キアヌ・リーブスと共演。
同2013年『ウルヴァリン:SAMURAI』シンゲンを演じ、ヒュー・ジャックマンと共演。
2017年『ライフ』星で発見された未知の生命体を調査する宇宙飛行士ショウ・ムラカミ役。
2019年『アベンジャーズ/エンドゲーム』スコーピオン/ハサシ・ハンゾウ役。
『47RONIN』では、
全員日本人俳優を雇うならこの役をお引き受けしましょう
と伝えた真田広之さんでしたが、すでにキャストが決まってしまっていました。
そこで、日本人であり侍なのに全編英語で撮るということに違和感を覚えたそうです。
しかし、『ウルヴァリン:SAMURAI』では、
「変なところがあったらおかしいと言ってくれ」
と、制作陣によく倉庫に呼ばれて意見を聞かれていたそうです。
日本文化について、実際に日本人に聞くという習慣が定着してきたんだな、これはありがたいことだと思いました。Googleで検索することすらせず、イメージだけでやられてきたことが多々あったので。
@日経TREND
また、真田広之さんは今回エミー賞を受賞した『SHOGUN 将軍』に、
東洋と西洋を融合させ、母国とその風習をよりリアルに描きたい
という熱い思いから喜んでプロデューサーを引き受けたそうです。
「文化が正しく描かれたドラマを作るいいチャンスだと思いました。 とても嬉しかったです」
確かに、海外の作品を見ていると、日本が日本でないように描かれていることが多く見受けられました。
また、『SHOGUN 将軍』はDisney+(ディズニープラス)のみでの配信です。
なぜ、Disney+(ディズニープラス)のみなのかというと、
僕にとっては、最初に日本の文化をきちんとリスペクトして、日本人をプロデューサーに入れるということを認めてくれたのがFX(ディズニーが持つ製作スタジオ)だったということです。
ということでした。
真田広之の英語はいつから?
海外へ進出することを決めた作品でもある『リア王』。
その『リア王』が、真田広之さんの本格的な英語学習のきっかけともなりました。
1999年、39歳の時に全編英語の『リア王』に出演した真田広之さんですが、この時、真田さんの英語力はほぼゼロの状態でした。
その後、2003年の『ラストサムライ』を経て、本格的に英語を身に着けたそうです。
エミー賞での真田広之さんのスピーチ、素晴らしかったですね。
ゆっくりと落ち着きのある口調で、「耳に心地よい」と感じました。
真田広之さんの英語学習方法は「反復練習」なんだそうです。
車の中やトイレの中など、あらゆる場所でセリフを繰り返し言っていたんだとか。
まとめ:真田広之、いつなぜ海外に進出したの?理由は?英語はいつから?
海外の映画を見て違和感を覚えていたのは筆者だけではないはず。
中国?韓国?どこ?と思うような描かれ方をしていることも多々ありましたね。
そんな日本の描かれ方が真田広之さん、『SHOGUN 将軍』によって変わっていくことを嬉しく思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。