この記事では、
〇マギー・スミスのプロフィール
〇マギー・スミスの死因は
〇マギー・スミスの主な出演作品
〇マギー・スミスのデビュー作品は
〇マギー・スミスの最後の出演作品は
について調査しまとめました。
『天使にラブ・ソングを…』や『ハリー・ポッター』で知られるマギー・スミス。ありがとうマギー・スミス
【ハリポタ・マグゴナガル先生】死因は?デビュー作と最後の作品は?
2024年9月28日、衝撃的なニュースが飛び込んできましたね。
『天使にラブ・ソングを…』や『ハリー・ポッター』のマクゴナガル先生役で知られる、マギー・スミスさんが亡くなりました。
ショック、、、!
マギー・スミスさんの息子で俳優のトビー・スティーブンスとクリス・ラーキンが声明を発表しました。
「非常に悲しいことですが、デイム・マギー・スミスの死を発表しなくてはなりません。
私生活をとても大切にする人であり、友人や家族に見守られて最期を迎えました。
残された2人の息子と5人の優しい孫たちは、比類なき母と祖母を失い、打ちのめされています」
「病院で安らかに息を引き取った」とされるマギー・スミス。
病院で、、、ということは?
死因は何だったのでしょう?
マギー・スミスのプロフィール
名前:マギー・スミス(Maggie Smith)
本名:マーガレット・ナタリー・スミス(Dame Margaret Natalie Smith
生年月日:1934年12月28日
年齢:89歳
出身地:イングランド エセックス州
マギー・スミスはオックスフォード大学演劇学科で学び、1956年にスクリーンデビューしました。
トニー賞を1度、アメリカのアカデミー賞を2度、英国アカデミー賞を5度受賞しています。
私生活では2度の結婚と、2人の息子をもうけています。
息子は俳優のトビー・スティーブンスとクリス・ラーキンです。
マギー・スミスの死因は?
マギー・スミスの死因はなんなのでしょうか?
「自宅で」ではなく、「病院で」とのことなので、なんらかの病気だった可能性があります。
可能性としては、
・パセドウ病
・乳がん
が考えられるかと思います。
パセドウ病
1988年マギー・スミスはバセドウ病を公表しています。
バセドウ病は甲状腺機能亢進症の代表的な病気で、自己免疫疾患の一種です。
体内で甲状腺刺激ホルモン(TSH)受容体に対する抗体が作られ、この抗体が甲状腺を過剰に刺激し、甲状腺ホルモンが大量に分泌されます。
発症要因としては、遺伝的要因と環境要因(ストレスや過労など)の両方が関与すると考えられています。
パセドウ病の症状としては、動悸、息切れ、手の震え、多汗、体重減少などが現れます。
また、目の症状(眼球突出)が出ることもあります。
マギー・スミスさんもこの目の症状があらわれていたようですね。
これによりギー・スミスは現在ほど目が出ていないことがわかります。
もともとぱっちりとても大きな目なんですね!
乳癌
2007年には乳癌であったことを公表しています。
当時マギー・スミスさんは72歳でした。
しかも、『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の撮影中とのこと。
数年前にも胸にしこりを見つけた時には、良性のしこりでした。
今回も少し変な感じはしていましたが、大変なものだとは思わわず、今回も良性だと思ったそうです。
乳癌によってマギー・スミスさんは、手術を受け、化学療法と放射線治療を行っています。
『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の撮影時、放射線治療を受けながら現場に通っていたマギー・スミスさん。
治療の副作用で髪の毛が抜け落ちてしまいゆで卵のような頭になってしまったんだとか。
そのため『ハリー・ポッターと死の秘宝』の撮影ではかつらを着用して演技を行いました。
治療中は非常に辛い時期を過ごし、化学療法で気分が悪くなり、「もう耐えられない」と感じることもあったそうです。
闘病生活は約2年間続きましたが、その後医師から完治したと告げられました。
闘病後、スミスさんは舞台に戻る自信を失ったと語っていましたが、エネルギーが戻ってきたとも述べています。
マギー・スミスの主な出演作品は?
映画作品
「ハリー・ポッター」シリーズ:ミネルバ・マクゴナガル先生役
「ダウントン・アビー」シリーズ:バイオレット・クローリー(伯爵夫人)役
「ミス・ブロディの青春」(1969):ジェーン・ブロディ役
この役でアカデミー主演女優賞を受賞
「カリフォルニア・スイート」(1978):ダイアナ・バリンジャー役
この役でアカデミー助演女優賞を受賞
「眺めのいい部屋」(1986):シャーロット・バートレット役
「天使にラブ・ソングを…」(1992):マザー・スーペリア役
「ゴスフォード・パーク」(2001):コンスタンス・トレンチャード役
「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」(2013):マーサー・ドンネリー役
「ミス・シェパードをお手本に」(2016):ミス・シェパード役
テレビドラマ
「ダウントン・アビー」シリーズ:バイオレット・クローリー(伯爵夫人)役
マギー・スミスのデビュー作は?
マギー・スミスさんの本格的な映画デビュー作は、1958年に公開された「Nowhere to Go」(原題)という作品です。
マギー・スミスさんは1952年に舞台デビューを果たしていましたが、スクリーンデビューはこの「Nowhere to Go」が最初となります。
当時24歳でした。
この作品は犯罪ドラマで、マギー・スミスさんは主要な役ではありませんでしたが、これが彼女の長い映画キャリアの始まりとなりました。
その後、マギー・スミスさんは数々の名作に出演し、1969年の「ミス・ブロディの青春」でアカデミー主演女優賞を、1978年の「カリフォルニア・スイート」で助演女優賞を受賞するなど、輝かしい映画キャリアを築いていきました。
マギー・スミスの最後の出演作品は?
マギー・スミスさんの遺作となったのは、『The Miracle Club』(原題)という作品です。
この映画は2023年に公開されました。
『The Miracle Club』は、1967年のダブリンを舞台にした物語で、マギー・スミスさんは長年の友人たちと共にフランスのルルドへ巡礼の旅に出かける女性を演じています。
その前の作品としては、2022年に公開された『ダウントン・アビー 新たなる時代へ』があります。
こちらの作品では、マギー・スミスさんおなじみのバイオレット・クローリー伯爵夫人役を演じられました。
このように、マギー・スミスさんは89歳という高齢になっても、最後まで素晴らしい演技を披露し続けてました。
『The Miracle Club』がマギー・スミスさんの長く輝かしい俳優人生の締めくくりとなりました。
まとめ:【ハリポタ・マグゴナガル先生】死因は?デビュー作と最後の作品は?
マグゴナガル先生~!
またハリー・ポッターの名優が亡くなってしまいましたね。
スネイプ、ハグリット、ダーズリーパパ。
マギー・スミスさん、
品のある優しいおばあさんという印象でした。
ご冥福をお祈りいたします。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。