この記事では、
・映画「かくかくしかじか」とは?
・「かくかくしかじか」のタイトルの意味
・【考察】許されない嘘とは何だったのか
・映画が伝えたかったメッセージ
についてまとめました。
「許されない嘘」とは何か気になりますよね。原作をもとに考察してみました!
【ネタバレ考察】映画「かくかくしかじか」意味は?許されない嘘って何?
2025年5月16日、東村アキコの自伝的漫画『かくかくしかじか』が、待望の実写映画として公開されます。
原作は、東村自身が「泣きながら描いた」と語るほど、恩師・日高先生との思い出を赤裸々に綴った作品です。
主演を務めるのは永野芽郁さん、破天荒な恩師・日高健三を演じるのは大泉洋さん。
原作者である東村アキコ自らが脚本を担当し、さらに劇中で使われるデッサンや絵画もすべて彼女が監修するなど、作品への深いこだわりが感じられます。
これまで映像化を断り続けてきた東村が、自ら脚本に取り組み、満を持して実現した本作。
特報映像では、大泉洋さん演じる日高先生が竹刀を振り回しながら「描け!」と叫ぶ姿が話題を呼んでいます。
原作のリアルな空気感をそのまま映像化した、感動の物語に期待が高まっています。
映画「かくかくしかじか」とは?

『かくかくしかじか』は、漫画家・東村アキコさんの自伝的エッセイ漫画を原作とした実写映画です。
美術の道を志す少女・明子が、破天荒な絵画教室の先生・日高と出会い、絵と向き合いながら成長していく物語。
青春の痛みと、師弟愛、そして”描くこと”の意味を、リアルに、時にコミカルに描き出しています。
原作の漫画「かくかくしかじか」は全部で5巻!
一気読みもしやすいボリュームですね!
「かくかくしかじか」のタイトルの意味

『かくかくしかじか』というタイトルには、東村アキコの人生の「ざっくりとしたあらまし」という意味が込められています。
日本語の慣用句で「かくかくしかじか」というと、「細かいことは省略するけれど、こうこうこういう経緯で」というニュアンスになります。
この作品もまた、彼女自身の漫画家としての道のりを、「あの時はこうだった」「こんなことがあった」と語るスタイルで綴られており、まさにタイトルそのもの。
高校時代に出会った恩師・日高先生の厳しくも温かい指導、自由を手にしてからの堕落、そして日高先生との別れ——。
人生の転機となった出来事を、時に笑いを交えながらも真摯に描いているのです。
つまり『かくかくしかじか』とは、単なる回顧録ではなく、「言葉では言い尽くせない感情の積み重ね」を表現したタイトルでもあります。
【考察】許されない嘘とは何だったのか
映画の特報に登場する「私は許さない嘘をついた」というセリフ。この「許されない嘘」とは、いったい何を指しているのでしょうか。
原作を読み解くと、そのヒントは高校時代にさかのぼります。
①「お腹が痛い」
初めて日高先生の教室に行った日、怖気づいたアキコは「お腹が痛い」と嘘をつき、家に逃げ帰ります。
しかし、その嘘を信じた日高先生はアキコを心配し、バス停まで背負って送ってくれたのです。
このときアキコは、先生の厳しさの裏にある本当の優しさに触れ、再び教室に通う決意をします。
②「半年だけ宮崎に戻るから」
そしてもう一つ、大きな「嘘」があります。
それは大学進学後、「半年だけ宮崎に戻るから」と両親や先生に嘘をつき、実際には戻るつもりもないまま、ふるさとを離れたこと。
この嘘を、アキコはずっと心のどこかで引きずることになります。
結果的に、日高先生の最期のときにも、アキコはすぐには駆けつけることができませんでした。先生に直接「ありがとう」を伝えることができなかった後悔。
それこそが、彼女にとって「許されない嘘」だったのではないでしょうか。
③逃げることと後悔
嘘をついた後、アキコは順調に漫画家としてのキャリアを積んでいきましたが、心のどこかで日高先生との繋がりを断ち切ったことに対する後悔があったはずです。
特に、先生が病に倒れ、アキコが再び宮崎に戻った際には、もう取り戻せない時間があることに気づき、後悔の念が強くなります。
嘘をついて逃げた結果として、彼女は思い出すべきだった教訓や感謝の気持ちを後回しにしてしまったのです。
④嘘がもたらした最後の対面
最終的に日高先生が亡くなる前にアキコは再び彼と対面しますが、その際に彼女は「ありがとう」という言葉を伝えます。
この言葉には、過去に犯した嘘とその後悔を超えて、彼女が本当に伝えたかった感謝の気持ちが込められていたのでしょう。
アキコが嘘をついて逃げたことで築けなかった深い絆を、最期の瞬間にようやく確かめることができたのです。
まとめ:「許されない嘘」の真の意味
「許されない嘘」とは、単に他人を裏切る行為を指しているのではなく、自己欺瞞を意味しています。
アキコが自分を守るためについた「半年だけ」という嘘は、結果的に彼女自身を苦しめ、先生との関係に深い亀裂を生む原因となったのです。
しかし、その嘘を通じて彼女は成長し、最終的には「ありがとう」と感謝の気持ちを先生に伝えることができました。
許されない嘘は、結局は自己の成長のための試練として存在していたのかもしれません。
最終的に映画『かくかくしかじか』では、この「許されない嘘」をどのように描き、観客に伝えるのかが鍵となります。
アキコの心情の変化と、日高先生との絆がどのように交錯するのか、嘘と後悔、感謝が交わるラストシーンに注目が集まります。
この映画を通じて、観客は自分自身の「許されない嘘」に向き合わせられ、どのように向き合うべきかを考えさせられることでしょう。
映画「かくかくしかじか」が伝えたかったメッセージ

原作漫画の最終巻では、アキコが日高先生の死後に抱える後悔と感謝がテーマとなっています。
日高先生の遺言のように「描け」と伝えられ、アキコがどのようにその言葉を受け入れ、最終的にどう乗り越えたのかが描かれます。
映画では、アキコが先生に「ありがとう」と伝えられるシーンがクライマックスを飾り、物語の最後に訪れる心の解放感が印象的に描かれています。
この結末は、謝罪や後悔を超えて、感謝と自分を許す力を見つける旅の終わりを意味しているのです。
『かくかくしかじか』が伝えようとしているメッセージは、ただ一言では語り尽くせません。
しかし、中心にあるのは「後悔と感謝」だと言えるでしょう。
人は誰しも、若いころに見栄や未熟さから嘘をついてしまうことがあります。
そして、その嘘の重みを、後になってようやく知るのです。
アキコもまた、日高先生にもっと素直に向き合えたら、もっと感謝を伝えられたらと悔やみます。
しかし同時に、先生が本当に伝えたかったのは、「とにかく描き続けろ」というメッセージだったことに気づきます。
まとめ:【ネタバレ考察】映画「かくかくしかじか」意味は?許されない嘘って何?
映画『かくかくしかじか』は、東村アキコの自伝的漫画を実写化した作品で、恩師・日高先生との深い絆と後悔を描いています。
タイトル「かくかくしかじか」は、アキコの人生のあらましを表し、過去の嘘と向き合う中で成長する姿が描かれます。
特に「許されない嘘」というテーマは、アキコが自分を守るために嘘をついたことが後悔を生み、最終的には感謝の言葉を先生に伝えることで解放される過程を描いています。
映画は、嘘と後悔、感謝をテーマに観客に深いメッセージを届けます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。